愛と感動の詩 コメント集

愛と感動の詩(歌詞集)コスモスに救われた若者たかが植物と侮ってはいけません。総ての存在物は自他ともに生きとし生かす二重目的によって存在しているのです。自分自身も生きながら他も生かす、コスモスとして咲き誇りながら、時には人の生命を救う事も出来るのです。 (コスモスの旅より)
愛と感動の詩(歌詞集)/猫からのメッセージ
ミィ〜ちゃんに人種差別の問題はございません。赤や黄色や緑でも良いのです。愛さえあれば他に何もいらないと言うのです。何と素晴らしい事でしょうか、人間もそうであれ!思わず叫んでしまいました。(ミィ〜ちゃんより)
愛と感動の詩(歌詞集)/若者は老い、老人は幼子のように
若者たちは将来の老人であり、老人は過去の若者です。誰もが同じ立場を通過しながら老いてゆく訳であり、あの世とやらへゆく前に何が出来るかが問題提起となります。ただ忘れてはならないのは、常に全体の中の個人であり、個人のようで全体だと言う事です時にはあたかも自分一人で生きているような錯覚に陥る事もありましょう。しかし良く考えてみると、着る物から履く物、食べる物から住む所に至るまで、そこには製造工程があり、それぞれに製造者がいるのです。多かれ少なかれ何らかの係わりを持ちながら人は生きているもので係わりを持たなければ生きていけないと言うのが正解でしょう。そうであるならば、何が出来るかと言うよりも何をしたら喜ばれるかの発想の方がいっそう充実したものになりましょう。それも叶わぬと言うのであれば己の生き様を子孫に伝えることです。成功談は励みとなり失敗談は教訓となるからです。(ゆずり葉より)
愛と感動の詩(歌詞集)/平和への讃歌
当然のことですが独りの男性と独りの女性が結婚して、そこから子孫が増えていきます。では逆の経路を辿ってみますと20代前30代前40代前はどうでしょう。代を遡るごとに人口は減少して、最終的には独りの男性と独りの女性に行き着きます。そう考えるのが自然であり、必然的だと思うのです。つまり私たちの出処は一つなのであり、人類は兄弟なのです。(兄弟たちへより)
愛と感動の詩(歌詞集)/草を食べる牛、その牛を食べる人
生命には何の価値もありません。身体を機能させるエネルギーに過ぎないのです。どのように機能させるか、何の為に機能させるかと云う目的性に価値があるのです。ただ草を食べるだけの牛なら何の価値がありましょう。人間の為に乳となり肉となる処に、牛としての立派な価値があるのです。被造物には各々役割分担があると云うことでしょうか。(牛ちゃんより)
愛と感動の詩(歌詞集)/我家の父さんサンタ
サンタクロースは本当に在ます。そして夢というプレゼントを運びつずけているのです。夢の中では不可能はなく過去から未来への制約もありません。どんなプレゼントでも手はいるのです。ただ夢の世界と現実世界は表裏一体の関係にあるため、現実世界での障害が夢の世界にまで影響を及ぼすと云う事はありますね。双方の世界でのバランスが良い形に保たれた場合には正夢と言う現象が起こることもあるようです。(一日遅れのサンタクロースより)
愛と感動の詩(歌詞集)/辛い時ほど人の気持ちが分かる
本当に大切なものは貴方の身近にありますが、普段はなかなか気づきません失くしてみて初めて、そのありがたみや大切さに気付くものです。病とか悩み等は、本当に大切なものは何かを教えてくれる教師のようなものですね。
(今がチャンスより)
愛と感動の詩(歌詞集)/恋の対極にあるもの
愛を得ようとする前に、愛を与えなければいけません。それが愛への前提条件です。雨は天から地へ河は上流から下流へ、愛はプラスからマイナスへ流れます。自分がマイナスになってこそ本当の愛が流れてくるものです。(愛の定義より)
愛と感動の詩(歌詞集)/秘訣は諦めない疑わない
勝利の秘訣は「あきらめない」「疑わない」この2点だとおもいます。あとは時間が解決してくれます。もしそれで失敗したとすればそれは時間が足らなかったせいであるか方法論において何か問題があったのでしょう。ともあれ誤った手法でなければ後は時間との勝負です。
(勝者の歌)
愛と感動の詩(歌詞集)/強さがあってこその優しさ
優しいはずの海が、エメラルドの輝きを放つ海が、まるで悪夢を見るかの如くに一転して轟いています。風もそれに便乗するかのように唸り声をあげ、竜神のように荒れ狂う波を巻き込み天にも昇らんとする勢いです。そうなのです。優しいだけでは駄目なのです。強さがあってこその優しさなのです。時にはこの怒濤の前に敵前と立ってこの如くに荒れ狂い燃えたぎる闘志が自分の中に有るか否か、激濤して見るのです。
(怒濤より)
愛と感動の詩(歌詞集)/酒の役割
酒は善か悪か?私は悪ではないと思います。しかし飲む顔相は悪そのものです。
(酔うほどにより)
愛と感動の詩(歌詞集)/運命は偶然を装って
出会いが重なって縁を持つ人もいれば、縁があるからこそ出会う人もいます。運命的に見れば性格資質の異なる4タイプの人が、各々9通りの運勢を歩み、36通りの基本的運勢を創り出します。4タイプとは血液型を現し、9通りとは気学でいう処の9方位を現します。そして縁は9惑星と密接な係わりをもつようです。
(めぐる日々より)
愛と感動の詩(歌詞集)/愛する人に出逢うまで
旅の醍醐味は出会いにあり、出会いの醍醐味は感動にあります。この感動の多さや大きさが人格形成の上で重要な役割を占めるのです。人は裸で生まれ感動を持って帰ってゆくのです。(青の旅人より)
愛と感動の詩(歌詞集)/曇りのち晴れを運ぶもの
まさに自然は天才画家ですね、早朝の野山を極限の濃艶をもって染め上げます。写真家のシャッターを止め,画家の筆を震わす。そしてその感動をエネルギーに変換して、明日への活力を与える。自然の中から学ぶ事の多さに感激ですね。(東風より)
愛と感動の詩(歌詞集)/大きな心を持つ人になりたい
人の器とは許容量を表します。許容量とは父母の愛のようなものです。器の底は浅いよりは深い方が良いにきまっています。何でも沢山入るからです。しかし器の目的は溜める為だけにあるのではないのですね。それは貯金と同じようなもので、使わなければ無いのと同じです。同じ使うにしても自分の為だけに使ったとしたら器の大きい人だと言えますか?人の為に公の為に使える人、すなわち損得ぬきで人の為に身を粉にする事が出来る人こそ、器の大きい人だと思うのです。
(器より)
愛と感動の詩(歌詞集)/神が人を創り、人が赤子をつくる
原因があって結果が生じます。私たちがこの世に生まれたという結果は原因の内にある目的性が理解する処です。その原因を神と呼び人類の親と結論付けます。つまり親なる神が人類の始祖を創造し人間の始祖がこの世に赤ちゃんを誕生させたのです。神が人間の遺伝子を類人猿に育てさせたような気がしてなりません。
(神様と人間より)
愛と感動の詩(歌詞集)/闇に呑まれないように
愛には色々な形があります。親子の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、隣人への愛、人類への愛、自然への愛、動植物への愛、等々。この愛を定義づけると、主体から対象に働きかける情的な力を愛と呼びます。反対に対象から主体に返す刺激的な力を美と呼ぶのです。つまり親が子を愛し、子が親に美を返す作用に代表されており、その美が親の喜びとなる訳です。よって愛は循環作用となり永遠性を保持してゆく事になります。
(愛、永遠なれより)
愛と感動の詩(歌詞集)/語ることのない石仏の代弁
一筋のなだらかなる道を歩きながら、ふっと思うのです。どれほどの人がこの道を通ったのだろうと。土色に同化した路傍の石に出会う時、感じるのです。石工職人の気持ちや手を合わせた人の気持ちを。重々しい一本の巨木に触れる時に、聞こえてくるのです。人の世の幸不幸を刻んできた年輪が、まるでレコード盤のように回転しながら泣き叫ぶのを。そして道端の石ころや折れた雑草が視界をよぎる時に、踏みにじられた者の気持ちが所せましと胸中を駆け巡るのです。・・・今日は語ることの出来ない者達の代弁者となって、自問自答をしているのです。(路傍の石より)
愛と感動の詩(歌詞集)/与えて大きく、奪いながら小さく
愛という言葉を聞くと、何やら明るくほのぼのとした感じに受け取られますが、その背後にあっては人類の闘争歴史によっていつも虐げられてきた悲しみの足跡があるのです。本当の愛はそれぞれが奪い合いながら勝ち得る物ではなく万人が与え合いながら巡りめくもので、愛の循環作用とならねばなりません。どこか一箇所でも途絶えたら、全体がストップしてしまいます。一人一人が大切な役割を持っているのです。
(愛と戦争より)
愛と感動の詩(歌詞集)/最後に感謝を
何事に対してでも感謝出来る人というのは、生まれつきの性格もありましょうし、万難を排した果てにおいてそうなる場合もありましょう。いずれにせよ感謝と言うのはコミュニケーションであり、対人関係において和をなす第一歩。「感謝の念なくして始まりなく終わりあり」人間としての必須条件が感謝なのです。この詞の中では万物に対してではなく、取り巻く環境や試練に対して「ありがとう」と感謝しておりますが、一見マイナスとも思える悩みや苦しみが、感謝する事によって実は人を成長させる糧となる訳です。(ありがとうより)
愛と感動の詩(歌詞集)/瞳は壊れたように君しか映さない
誰にも経験があるように、恋とは全ての時間を自分と共有してほしいと言う独占的な思いです。その人の事を考えると夜も眠れなくなりますが、肝心の相手の方は熟睡中なもので、最初は思い込みからスタートするようです。
(恋より)
愛と感動の詩(歌詞集)/国境などいらない
各々個性を見た場合に人間は唯一無二の存在であると感じます。つまり基本的な処で私達はバラバラな存在なのですね。それを一方向的に理解しようとしたら無理が生じるのは当然の事です。何かが足りないのですね何かとは愛と夢と生命です。この三点によってのみ人間は平等になれるのです。愛夢生命の欠乏症になってはいけません、至る処にちりばめましょう。ここから総ての自由がスタートするのです。(自由へのパスポートより)
愛と感動の詩(歌詞集)/思いやりの気持ちから始まる
本当の価値には永遠性絶対性が必要です。風が吹いても揺らぐことがなく人の好みにも左右されずインフレにも何喰わぬ顔で対処し変色することも盗まれることもないものそれは万人が認めるものであり死んでも変わらないものです。そういう人類共通の価値観がほしいのです。(本当の価値より)
愛と感動の詩(歌詞集)/うみの広さにゃ敵わない
人間の身体には塩分が不可欠です。塩の香りは細胞を刺激し活性化します。そして我に返り昨日までの自分が何とちっぽけな存在であったか改めて思い起こさせるほどに海は大きくただただ感服するのです。
(大海より)
愛と感動の詩(歌詞集)/自分探しの旅
転職の理由は十人十色ですが天職を見つける為の転職に行き着くのが理想だと思います。天から与えられた人の個性は千差万別であり、万人万色の輝きを放っています。人の数ほどの職種があり、万人の個性を生かしきれたらベストなのですが難しいものですね。
(33回目の転職より)
愛と感動の詩(歌詞集)/彩りを添える人になりたい
何の目的もなく咲いている花はありません。それぞれに意味があり、花格があるのです。同種の花であっても千差万別、人の姿のように顔形が皆違うのです。花にも喜怒哀楽がある事を知っていますか?泣いたり笑ったり、考えたり記憶したりもします。そして花の心は花びらに滲み、人の心は顔に滲みます。
(花のようにより)
愛と感動の詩(歌詞集)/動機が決める善悪の岐路
それは一番外れにあります。境と境の間にあり、極と極を極めるものです。その線から一ミリでも踏み出したら別の領域になります。では人間でいう処の善悪境界線は何処でしょう。それは心の中にあり、総ての思いの出発点、すなわち動機という言葉で集約されます。そしてこの動機こそがあらゆる諸問題の基となるのです。(境界線より)
愛と感動の詩(歌詞集)/明日が見えない世界
悲しい時には枕を濡らします。苦しい時には胸を締めつけられます、そしてその後に来るものは何でしょう。何も感じない世界があります。自分という存在さえ否定される世界があります。普通はここまで行き着く間に途中下車を思いつくものですが、降り立つ駅が無かったらどうでしょう、漂うしかないのです。
(漂流より)
愛と感動の詩(歌詞集)/おとぎ話はたとえ話
神話や御伽噺は単なる空想物語ではなく、喩話に形を変えた実話に近いものです。そこには明白にすることが出来ない事情があるのですが、開示出来ないと言うのではございません。開示する為の条件が必要になるだけです。
(人魚と少年より)
愛と感動の詩(歌詞集)/疑いをしらない子供たち
その好奇心に満ち満ちた眼差しは何をしでかすか解らないと言うよりも、何をしでかしてもおかしくない様に映ります。今ここに居たかと思ったらもうあんな処に瞬間移動をしている。そんなふうに感じられた事はありませんか?もしかしたら大人の視線から逸れた時に子供達の時間の中では、子供は本当に空を飛び時間を止めたりして遊んでいるかも知れません。
(小さな天使より)
愛と感動の詩(歌詞集)/青春の証として
青春のシンボルと言えば勿論ニキビですが、そんなに憂うつな顔をしないで青春証明書を貰ったつもりで赤飯でも炊いたらどうでしょう。一生に一度しか体験出来ないと思ったらなぜか愛しくて 「ニキビ様よくぞいらっしゃいました、一粒では余りにも寂しいので明日は額と頬にも出て下さいませ」 と言うのです。
(青春のアバタより)
お疲れ様でした〜!一杯どうぞ〜・・・・