愛と感動の詩(歌詞集)/譲り葉(ゆずりは)


陽だまりに 陣を取るように
老人たちの ひそひそ話が
枯れ木に 色を差す
昔を語る時の 白い歯が寂しく
そのくせ瞳だけは 子供のように
年をとる程に みんな昔へ戻ってゆく
若い者に負けないくらいに 素直になってゆく



思えば子供を 育てるために
働くことが 生きがいだった
ありふれた 人生・・・
白髪を数える度に 話し相手が去って
庭先の盆栽は 息子のかわりに
老いた身体で何も、何も出来ないけれど
語る度に年の功が 受け継がれてゆく



若者たちは将来の老人であり、老人は過去の若者です。誰もが同じ立場を通過しながら老いてゆく訳であり、あの世とやらへゆく前に何が出来るかが問題提起となります。ただ忘れてはならないのは、常に全体の中の個人であり、個人のようで全体だと言う事です。時にはあたかも自分一人で生きているような錯覚に陥る事もありましょう。しかし良く考えてみると、着る物から履く物、食べる物から住む所に至るまで、そこには製造工程があり、それぞれの製造者がいるのです。多かれ少なかれ何らかの係わりを持ちながら人は生きているもので、係わりを持たなければ生きていけないと言うのが正解でしょう。そうであるならば、何が出来るかと言うよりも何をしたら喜ばれるかの発想の方がいっそう充実したものになりましょう。それも叶わぬと言うのであれば、己の生き様を子孫に伝えることです。成功談は励みとなり失敗談は教訓となるからです。・・・譲り葉(ゆずりは)とは新芽が出るのを見届けてから古葉が落葉する常緑高木